活動報告

2022.12.17
◆ 第27回 研究会報告

前回(10月)から始まった隔月開催の研究会が本日(12月17日(土)18:00-20:00)ありました。
今回もカンツォニエーレ第一ソネットを精読してゆきました。
 
1 Voi ch’ascoltate in rime sparse il suono
di quei sospiri ond’io nutriva ‘l core
in sul mio giovanile errore
quand’era in parte altru’uom da quel ch’i’ sono:
 
5 del vario stile in ch’io piango et ragiono,
fra le vane speranze e ‘l van dolore,
ove sia chi per prova intenda amore,
spero trovar pietà, nonché perdono.
 
9 Ma ben peggio or sì come al popol tutto
favola fui grand tempo, onde sovente
di me medesimo meco mi vergogno;
 
12 et del mio vaneggiar vergogna è ‘l frutto,
e ‘l pentersi, e ‘l conoscer chiaramente
che quanto piace al mondo è breve sogno.
 
今回は5行目からの精読でしたが、まず行頭の「del」がどこにかかるのかが気になります。これは8行の「spero trovar pietà, nonché perdono (del vario stile)」となるのですが、このペトラルカによって計算され尽くされた語や音の配列を日本語に移し替えるのは──少なくとも私には──不可能なのでは?と思えます。9行目の「Ma」は(日本語だと「さて」とかイタリア語で「Ma adesso」だと捉えると)詩句がソネット後半部分に入ったことや本題に入ったが体感できるかもしれません。また、「veggio」はvedereの直説法・1人称単数(現代イタリア語のvedo)ですが、「見える」というよりは「分かっている mi accorgo」の意味合いで取ると流れがスッキリするでしょう。11行目の「di me medesimo meco mi vergogno」は音読してみると子音「m」の連続や「私」という意味に関わる表現が(動詞1人称単数も含め)行頭の前置詞「di」を除く全ての語に含まれています。校訂者によって採用している句読点には揺れがあるものの、13行目の「pentersi」の後ろの「,」と「e ‘l conoscer chiaramente」についても、なんとなく意味合いが理解できるので読み飛ばしてしまいがちです。この並置された2つの不定詞(名詞として用いられる)は先行する「’l frutto」を説明していますが、コンマ(virgola)があることで「悔い、さらにははっきりと理解することによって」と取れるのではないかといった意見も出ました。そして、最終行の「che quanto piace al mondo è brevo sogno(現代イタリア語だとche ciò che lusinga gli esseri terreni è solo un sogno di breve durata, un’illusione vana [Chines & Guerra 2005: 51] )」を読むと、シェイクスピア『テンペスト』第4幕・第1場「We are such stuff as dreams are made on; and our little life Is rounded with a sleep」などにみられる表現がヨーロッパで広く共有されていることが理解できます。ペトラルカの『カンツォニエーレ』冒頭で作者がこれから語られる作品のコンセプトを宣言する中で用いられる表現がシェイクスピア晩年の作品で用いられていることも興味深かったです。

森田学

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